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アメリカ旅行記,紀行:「オン・ザ・ロード」| データ項目の説明→
| 書名 | オン・ザ・ロード |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 著者 | ジャック・ケルアック | |||||
| 書籍種類 | 紀行 | |||||
| 紀行の種類 | 旅行記型 | |||||
| 旅の種類 | ||||||
| 主要テーマ | 歴史、文化 | |||||
| 主要訪問国 | アメリカ | |||||
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アメリカ紀行地図|「オン・ザ・ロード」で辿ることができる主要都市
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「オン・ザ・ロード」|紀行読書感想
無意味な意味論
ジャック・ケルアックの不朽の名作「路上」の新訳「オン・ザ・ロード」。
新訳ということもあり、「文章的」には思いのほか読みやすいものでした。表現される「言
葉」は現代的な表現が多く、原文ではどのような表現であったのか興味が沸きます。
「旅」の主人公は「サル」と相棒の「ディーン」。二人の言わば「腐れ縁」的な繋がりは友情
という美しく、ありかちな言葉では表現することは安直な気もする。
関係が崩れそうにな
っても、どこか形而上的な別次元の世界で繋がっていて、関係は虚無空間で浮遊している
ようだった。この本にセマンティクスなものを求めることは最初から諦めていた。なんと
なく。
「Load」と「Beat」
「Load」と「Beat」。この2語がすべてだった。
二人は常に「路上」に立ち打ちひしがれて
いた。ただ留まることなく、前へと進む。
何かに追われているように進む。
サルはディー
ンから追われる恐怖から逃れるように、一方で、ディーンに追ってもらいたいという意志
も感じられる。
ディーンも追われていた。そしてサルを追った。この物語はサルの目線で
書かれている。
そう。ディーンは酔狂な旅人、サルは記縁者なのだ。
旅人、松尾芭蕉と記
録者、河合曽良のそれと、そして、紀行文と私の関係。運命的なものを感じざるを得ません。
ビート・ジェネレーションという言葉に象徴されるように、彼らと、彼らを取り巻く人々、
そして彼らが存在していた時代のアメリカは打ちひしがれていた。端的に言うと「疲れて」
いた。
この疲弊感がこの時代を象徴しており、歴史的背景を正確に表現した歴史書と捉えるこ
ともできる。
なぜなら彼らは超現実な世界に身を投じたからだ。
逃げも隠れもしない。
こういう時代背景の中、この本は生まれるべくして生まれ、この本がビート・ジェネレー
ションという「概念」から「実体」を作り上げた。
この「実体」たちが現在のアメリカの根底を作
り、隠喩する言葉が時代と共に変わっていくが、今日のアメリカの根っこを形成している
に違いない。
ふたりの顔
私の目の前に明瞭に浮かび上がるのは「ディーン」の半狂乱な顔だけだ。
原文ではbeatific
という単語でディーンを表現する箇所がある。直感的に「言葉」を操る、ケルアック・マ
ジックの典型といえる。
beatific「至福の、気高い」という「beat」とは相反する言葉。
狂気に満ちた顔は徐々にキリストの顔として私の中で形成された。
しかし主人公「サル」の顔は漠然としたままだ。
2人の写真が浮ぶ。ピントはディーンに
当っている。しかしサルにはピントが当てられていなかった。
ただ、樵悴しきっている顔
だけが、背後にぼんやりと残像として映しこまれていた。


苦い味のするアメリカ。








